公共事業工事と入札制度と沖縄の憂い

 私が設計事務所を開設して10年、法人化してからは3年が経つ。ここへきてやっと公共施設の設計入札への参加ができるようになった。
 公共施設の設計を受注する場合には通常、設計入札制度(公共施設の設計者を設計料の安さできめる制度)と、技術提案(プロポーザル)・設計競技(コンペ)により、建設特別委員会が最終的に選定する(つまりデザインまたは設計技術の優秀さを競わせる)、という二通りの方式がある。

 しかし後者のケースはごくわずかで(実際一割にも満たないのではないか)、ほとんどが前者の設計入札制度の方式で決定されている。この現状は県内だけではなく、ほぼ全国的に行われている悪弊である。入札といっても、結局は話し合い?で決められるケースも多く、新規参入業者が設計をさせてもらえるケースは少ない。

 また近年は不景気のため話し合いが成立せず、かなり低い設計料で落札されている。そうすると手抜き設計になる可能性が高く、技術の研究や低コストのための努力も怠り、結局は空間やデザインだけでなく、コスト面からも粗悪でつまらない公共施設があちこちで造られている。

 我々の税金を使って造られる多くの公共施設が、ただ単に設計料の安さだけで決定され、独創性や、社会をクリエイトしていく意識のない設計によって、将来に希望の持てない空間だけが次々と造られていく今の制度に疑問を感じずにはいられない。

 翻って沖縄をみると、全国的に比べても公共予算(いわゆる思いやり予算)の配分が多い。それは米軍基地が存在するからである。今でもつづく米軍による犯罪や事件では、社会的弱者である女性や子供が犠牲になることが多い。そしてその代償として、ハコモノ造りの目的で多くの予算が組まれ、土建業界に配分しているのが現状である。
 戦争時は、米軍の戦闘機から爆弾が投下されたが、今は日本の国家から思いやり予算が投下されているようなものである。沖縄県の主要産業は、公共事業を請け負う建設業となってしまっている。公共工事主体の建設業が施策の街づくりは、弱りきった体にドーピングして、一瞬、元気を取り戻すようなものといわれている。だからこそ本質的な解決策とはいえない。

現に、投下された思いやり予算を、技術競争が成立しえない低いレベルの争いのなかで業者が順番よく仕事を請けているようなものであり、それはまさに池の鯉が餌欲しさに口を開けて待っているようなものである。
よく沖縄は生産社会ではなく、消費社会といわれているが、我々は、今後の沖縄の未来の為にも自立する術を考えていかなくてはならない時期にきているのではないか。この現状は、土建業界はもちろんのこと、政治、行政、公共事業に頼る県民全体の問題である。

 設計入札制度という悪弊を考え直すのもそうだが、公共事業だけに頼るこの業界を変えていく、各企業が勇気を持って努力と精進をしていく姿勢が必要なのではないだろうか。

 自らが生産、創っていく環境、活力のある住みよい美しい沖縄を一日も早く創っていくためにも、この21世紀の早い時期に変えていく、そう考えずにはいられない。

2004.6.22 門口安則

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