ロックンローラー喜屋武幸雄

 NPOとはnon profit organization(非営利組織)の略である。北谷町生涯学習プラザ主催のNPO入門講座が開催された。NPOの役割や実際に活動している団体の代表の話など、週1回の計5回、4人の講師による講座である。常々社会貢献、社会に役立つことを何らかの形でできないか、そんな思いを抱いている私はこの講座に参加することにした。

 ロックの父と呼ばれる喜屋武幸雄氏が講師を務めたのは4回目の講座であった。70、80年代に沖縄ロックのミュージックシーンを創りあげた、マリー・ウィズ・メディューサのリーダーである。定刻より少し遅れて部屋に入ってきた彼は、上下のジーンズに黒のブーツ。腕組みをし、しばらく私たちを見つめるその姿は、今年63歳とは思えない風貌であった。さすがロッカーである、その辺の親父とは違う、何かオーラの様なものが感じられた。

 彼は昭和17年生まれで、那覇市出身であることや戦後の混乱の中からロックに目ざめたといった生い立ちから語り始めた。

 私はこの日まで喜屋武幸雄という男を世間同様、単なる自由きままなロックンローラーというイメージで捉えていた。しかし、彼の話を聞くにつれて、そうではない事に気づかされた。自身の人生を賭けたロックを通して沖縄を引っ張り、目的に向かって邁進、社会を創っていこうととしていたのだ。
 彼が現在、沖縄県ロック協会の事務局長や沖縄県音楽文化振興会(ロック、ジャズ、クラッシック三団体)の理事長を務められていることは、マスコミ等で周知の通りであった。失礼は承知で書かせてもらうと、いわゆる年を召されたので裏方にまわったのだろうと考えていた。我々の業界、あるいは一般的に、○○協会の会長や理事長等の肩書きを持つ人は、その分野で活躍、貢献をし、ある程度の名声を残し、年をとったので現場は若い人に任せ、自分たちは悠々自適にのんびり適当に役職をこなし、それでいて恩恵にあずかろうとしている人…現に天下りの問題もそれに近いモノがある。そんなイメージがあった。

 しかし、彼の講座を拝聴し、一瞬にして自分の思っていたことが大きな間違いであることに気づくこととなった。

 彼は裏方に徹し、沖縄音楽の普及に務め、若手ミュージシャンの育成にも多大なる貢献をしている。ロック、音楽を通して社会に貢献し、まちおこし的に音楽イベントを開催、観光とも結びつけ、雇用促進にも一役かっているのである。おなじみのピースフルロックフェスティバルやコザミュージックフェスティバルなどいくつものイベントを開催し、現在の沖縄に音楽文化を根付かす為に多大なる役割を担ってきたのである。今をときめく、インディーズ若手のそうそうたるメンバーも喜屋武氏が手がけたイベントで巣立っていったミュージシャンである。
 彼の音楽を通した視野は郷土にとどまらず、世界をとらえており、「『強く願えば奇跡は起こる』強く願い、強く確信し、強く予期して行動を起こす時、奇跡は我がものとなる。」まさにその言葉があてはまる。そのパワー、情熱には頭が下がる思いである。

 また、彼は教えてくれた。20世紀は「モノ」の時代であったが、21世紀は「慈悲の心」「奉仕の精神」の時代であることを。ボランティア精神でたくさんの人に幸せを与えれば、自然に自分に戻ってくるという事を。世のため人のためという言葉が陳腐に聞こえる今の時代だからこそ、喜屋武氏の活動は共感、感銘を受けるものである。

 さて、自身に置き換えるとどうだろうか。自分の出来ること、人に少しでも幸せを与えられることに努め、仕事を通して社会貢献に精進しているつもりではいるが、日々の忙しさに心を奪われ、現実は会社運営をすることで精一杯である。喜屋武氏の講座を拝聴し、たくさんの勇気とやる気をもらい、たった一度の人生を後悔のないものにしよう、生き抜こうと改めて心に誓ったのであった。

 幕末の偉人、大塩平八郎の言葉、「口先で善を説くのでなく、実践を持って善を説かなければならない」その言葉が甦ってくる講座であった。最後に喜屋武氏にはこれからも沖縄の音楽界をリードし、次世代の子供たちにより良い社会、よりすばらしい沖縄をバトンタッチできるように、さらにパワーアップした活躍を祈り願う思いである。

2005.7.22 門口安則

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